成長痛はもういらない

半年ぶりだ。去年の今頃は写真を見るともうノースリーブを着ていたのに、今年は全然梅雨っすね。

年始の投稿で私生活を充実させたい、韓国語再開したい、メイク研究したいなどなど書いていたけど、今のところどれもできてる気がする。GWに旅行に行ったり、土日も細々出かけたりしているし、韓国語もちまちま続いている。逆に今仕事の刺激が少なめで悶々としている部分はあり、人生難しすぎるわね。

でも日曜の夜に鬱々とした気持ちになるのは変わらない。もうこれは一生付き合わないといけないのかも。ここで酒を飲むと飲みすぎて月曜が辛くなるので我慢した方がいいというのは学んだ。もっと少量のワインがたくさん売ってたらいいのに。

 

「わたしたちはどうしてこんなに不安なのでしょう」

最近見ている銀河の一票というドラマで、印象に残ったセリフ(そう、最近はドラマを見る余裕がある)。なんか全部不安なのだ。わたしなんて相当恵まれている。ストレートで卒業・就職し、仕事も順当に職位が上がり、彼氏もいて、両親も健在で、浪費癖がないのでそれなりに貯金もある。なのに、たまらなく不安だ。自分の手に負えない範囲にまで気を揉んでいる自覚はある。でも、そういう不安が人生の「あがり」を描けなくしている。どこに進んでいるのか、この道であっているのか、どうやったら安心できるのか。

早くあがりたいのだ、わたしは。もう効率も成長も求めてないよ。評価面談で部下に「来期は〇〇ができるともっと成長できると思うので、頑張りましょう」とか言っている時、もうひとりのわたしが冷笑してる。もういいよ。人間は遥か昔から脳のキャパが変わっていないのに成長しすぎてる気がする。わたしは宇宙もAIも興味がなくて、技術の進歩に期待するのは花粉症を治せる薬だけなのに。あとは明日も明後日も一年後も十年後も、おいしいごはんが食べられて、あたたかい布団で眠れたらそれでいいのに、ね。

 

銀河の一票はわたしのライフタイムベストドラマ、大豆田とわ子と三人の元夫と同じプロデューサーさんだからか、またも岩松了がいい役。あ、やっぱり寝食だけじゃなくて、仕事なりなんなりで、社会と繋がって何かしらで役に立っていたい、というのも追加で。

明けました2026

ログイン久々だ。明けましておめでとうございます。もう1月も半分過ぎてますが。

2025年は、なんか仕事してたら終わってしまった、という感じ。特に秋以降はあっという間でした。管理職って大変だね〜。

仕事が忙しすぎて、そっちにメンタルのリソースが割かれて逆に恋愛系の事案でメソメソし続ける、みたいなことが秋以降だいぶ減って、人間は暇だと病む、という言説も一理あるなと思うなど。でも仕事が大変だとそれはそれで病むリスクが高まるので、兎角この世は生きづらいって話。

今年の目標は病まない。去年は30にもなって会議終わるなりオフィスのトイレ駆け込んで泣いたりしてた。おしまいだよ。一回耳もおかしくなったし、自律神経がやられてた。でもさ、わたしが頑張ってもダメな時はダメだし、頑張らなくてもうまくいく時はうまくいく。自分の実力の影響力を過信しない。たかだか小娘ひとりの力なんてたかが知れてるのだから。全部うまくやろうと思い過ぎない。誰かに嫌われても仕方ないと諦める。これはわたしのこれまでの人生でずっと苦手なことだけど、克服しないとずっとつらいままだから。大事な人たちに対しては感謝を忘れず、それ以外の人たちのことは気にしすぎないこと。

2026年は己の生活を大事にしていきたい。その結果日曜にメソメソしなくなったらそれがベスト。自分のことが好きになれることは積極的にやっていきたいね。止めちゃってた韓国語の勉強も再開したいし、ストレス込みで絞られた身体はせっかくなら健康的な形で維持したい。メイクも研究したいし、これだけやりたいことがたくさんあるならまだ大丈夫。楽しい一年にしたいな。

8月31日の雑記

毎日毎日暑くてかなわん。わたしは気象庁の東京の最高気温の月平均(1875年6月からのデータがある)を定期的に見るという趣味があるのだけど、今のところ今年の8月の平均は34.2度らしく、34度を超えているのは150年の間で2020年、2023年と今年だけ。わたしが子どもを持つのに積極的になれない理由のひとつは夏が暑くなりすぎていることなんだけど、話してもあんまり分かってもらえない。夏休みに夢中で外で遊べないなんてかわいそうじゃんと思ってしまう。

最近仕事絡みで嫌だったりもやもやすることが多くて、その度に恋人に愚痴を聞いてもらっているのだが、ふと恋人もおらずチャットGPTもなかった時代はわたしはどう対処していたんだっけ、と思う。もちろん友達にも愚痴は聞いてもらっていたけれど、あくまで会った時の酒のつまみとして話題にするくらいだった。ひとりで消化していたんだろうか。昔の日記を読んでも、どこに行ったとかなにを食べたとかの比較的平和な話題か、自分の内面に関する暗い話題かで、仕事の話はそこまでしていない。シンプルにそこまで仕事がつらくなかったのかもしれないけれど、愚痴をこぼせる環境に甘えちゃってる部分もある。それはそれとして今の仕事がいろいろ息苦しすぎるのは事実なんだけど。

よくないな、と思う一方、わたしは他のことも含めてひとりできれいに解決したがるきらいがある。前も書いた気がするけど、わたしは自分に対する期待値が高いから、人にちょっとイライラした対応をした時とか、すぐに「今の態度よくなかったな」と落ち込んでしまうのだけど、後から相手に謝ると「え?なんのこと?」と聞かれる、というケースが何度かある。先週もあった。

すごく短気で不器用なのに、常に穏やかでおっとりしていつつ頭の切れる人に憧れているから、そのギャップでいつも自己嫌悪になっている。難儀だな。自分に求める点数を低くしたい。この性格のおかげで毎朝NHKのビジネス英語のラジオを聴くとか、ヨガに週2で行くとかが年単位でできている訳だけど、なんかこの先どこかで、歪みが爆発しそうな予感がちょっとあってこわい。

ちゃんとしてなくてもいいよって本心で思えたら、わたしのこの乱気流メンタルも少しはコントロールが効くのだろうか。また日曜の夜に突然泣き出さないように、工夫しないとね。

鬼門の夜のひとりごと

鬼門の日曜夜です。月曜の朝より全然つらい。

ぜんぶ、気を紛らわせているだけだと思ってしまう。人生のつらさとか悩みとかもやもやとか、直視するにはあまりにもしんどくて、だからみんないろいろなものに頼って紛らわせている。美味しいご飯、ゲーム、推し、お酒、旅行、映画、買い物、アウトドア。いわゆる趣味は、すべて直視するにはつらい現実の輪郭をぼかすためのものではないかという気さえする。

だから、予定がつぶれるとダメージが大きい。それを楽しみに、残業も、早起きも、上司のチクチク言葉も、ぜんぶ飲み込んでがんばってたのに。つらい仕事と、やらなきゃいけない生活の雑務に追われているうちに毎日が終わる。代わりになる楽しい予定を立てる元気が出ない。ご飯を作るのもお風呂に入るのもお皿を洗うのも洗濯するのも掃除するのも、もともと嫌いなだけで最低限を生きるハードルが高くなる。料理や掃除が好きだったらもうちょっと生きやすかっただろう。でも、好きになれないものは仕方ない。日曜の夜が嫌なのは、月曜朝のごみ収集に向けて準備しなきゃいけないのもきっと理由のひとつだ。

このあとお風呂に入って寝て起きたら、また仕事と雑務に追われると思うと寝たくなくなって、無駄に夜更かしをするから月曜の午前はいつも眠い。たくさん寝た方がいいのに。こうなっちゃうと推しですらわたしを救えない。わたしを救えるのはわたしだけなのはなんとなく分かっているけど、救うために動くのすら面倒な夜はどうしたらいいんだろうね。

心の中のプリンセスの継母

例の如く日曜夜の呪いにかけられてめそめそしている。まったくよく飽きないねあなたは。

夕方までYouTubeで時間を溶かして、重たい腰を上げてスーパーに行って、何にも作る気がしないから取り回しのきく野菜やら肉やらを適当にカゴに入れたあと、アイス食べたいなと思って冷凍コーナーをぼんやり見ていた時に、ご飯と副菜がひとつになったプレートみたいなものを見つけた。これ買ったらチンするだけで一食完成するのいいな、と思ったあと、いやこれに頼るほど切羽詰まってないか、と通り過ぎたけど、わたしはこういうところがある。別に切羽詰まってどうしてもそれしか手がない状態じゃなくても楽していいはずなのに、自分でそれを許せない。許せないというか、すごく後ろめたいのだ。少し前までカット野菜すら買えなかった(一度買ったら楽すぎて、あと普通に野菜を買うより安く済むことも多くて、今年の冬はよくお世話になりました)。

なんなんだろうね。別に楽してもいいのにね。誰に怒られるわけでも咎められるわけでもないのに。なんかやっぱり心のどこかで同年代の子は結婚してふたり分どころか子どもの分までご飯作ってるなかで、めちゃくちゃ楽なはずのひとりぶんのご飯すらちゃんとやれないなんて、とか思ってる部分もあるのかな。とかいって今日の夜もキムチ奴と納豆とカルシウム煎餅だったんですけど。あ、楽してるのにいいものを食べるのがチートみたいに感じちゃうのかも。自分がだらしないせいで質素なものしか食べられないのは別に気にならないのか。こわ。生きづらすぎるだろ。

ていねいな暮らし、できるならぜったいした方がいい。でもていねいじゃないけどいい暮らしだってしていいはずなんだよね。今度、あのひとり用ミールキットみたいなの買ってみようかな。カット野菜と一緒で、一回手を出したら抵抗なくなるかもしれない。こういう自分にかけてるちっちゃな呪いみたいなのをひとつひとつ解いていったら、いつか日曜の夜でもめそめそせずに済む日が来るのだろうか。

 

 

レベルアップということにさせて

先日、30歳になりました。それほど深酒しなくても翌朝に残るようになったり、胃もたれの頻度が上がったり、身体の衰えはたしかに感じるけれど、でも気持ちとしては数日経った今でも、自分が30代になったなんて到底信じられない。こんな中身はよちよちなのに。

 

20歳の頃書いていた日記やブログを読み返したら、尖っていて脆くて繊細でどきっとした。それはそれできれいだし尊さもあるけど、ゴツゴツした現実を生き延びて大人になる過程で、ある程度繊細さが失われてわたしの場合はよかったと思う。

あなたが、がんばれなくてつらいつらいと言いながら、なんだかんだ全てを諦めずに歩き続けてくれたおかげで、わたしはたくさんおいしい食べ物とお酒を楽しんだり、外国で新鮮な景色を見たり、自分の仕事に対して褒められることの嬉しさを知ったり、家族以外に誕生日を祝われることのくすぐったさを感じたりできました。ありがとうね。がんばってくれて。

今も基本楽しいけどつらさはあるし、質が違うから単純に重さを比較することは難しいけど、あなたがそれを抱えながら歩いた道を思うと、わたしも簡単に負けてはいけないなという気持ちにさせられる。実は、あなたも自分が思うほどひとりじゃなかったことは後から分かるんだけどね。

 

とはいえ、まだまだ全然未熟だ。1ヶ月前のブログもそうだけど、不安定で危なっかしい。でも、こんな感じでも30年やってこれたっていうのが一種の自信になるような感覚もある。卑屈なところもネガティブなところも、もうきっと直らないけど、爆発しない程度にどこかで膿を出しながら、やっていくしかないのだろう。できればもう少し虚無になる日を減らしたいけど、努力目標ってことで。

スウェットがびしょびしょ

やっぱり日曜の夜は鬼門。なんなら昼間から全然だめで、出かけようと思ってメイクまでしたのに、散らかった部屋でひとりしくしく泣いているうちに日が暮れてしまって、スーパーへの買い出しにしか行けなかった。

なんでこうなっちゃうんだろう。付き合う前からこういう日はあったはずだけど、ここまで分かりやすくだめになることはなかった、気がする。彼氏が悪い訳じゃない。完全に自分の問題であることは分かっていて、相手を変えれば解決するものではないことは確かだ。ひとりでいれば問題は起きないけれど、解決もしない。先送りにするだけ。

不安は自分の心に棲んでいるから厄介。なんてことないメッセージ、態度、発言を取り上げて、わたしに耳打ちする。「ほら、別にあんたなんかいてもいなくても変わらないって」

分かってる、わたしに耳打ちしているのもわたしだ。でも、それが真実じゃないと証明する術はない。人の心なんて分からないしどうしようもないのに、わたしはどうして他人に嫌われるのがこんなに怖いんだろう。どうして誰かの役に立っていることを確認したいんだろう。

不安になるのも泣くのも疲れた。目が熱くて重い。でも明日は在宅だから目は腫れても大丈夫。泣き疲れてスッと眠れるかな。この辛気臭いモードをずるずる引きずっちゃう週もあるけど、今週はそうならないことを願って。