フィクションの美しい救いを支えに

インフルエンザに罹って週末ベッドの虫になっている間、A子さんの恋人を読み終えました。以下ネタバレ注意。

すごかった。29歳という世間一般で言ったらいい大人たちが迷って傷つけて傷つけられて振り回して振り回されて成長する物語。最終的にきちんと成長にたどり着いて、傷つけられたり振り回されたりが徒労に終わらないのはフィクションのすてきなところである。

同級生や年下の子が親になっているというのにわたしときたら何もわかっていない、というのは独身アラサーのよくあるコンプレックスなのかもしれない。自分が結婚したいのか、昇進したいのか、どうなりたいのか。周りはきちんとわかっている(わからないとしても決めている)ように見えてただただ感嘆してしまう中で、えいこちゃんたちはわたしと同じくらい迷走していて心強かった。わたしも今の迷いや焦りが納得のいく結論に結びつくように、ちゃんと考えてすべてを選択しないといけない。う〜苦しい。

 

正直えいこちゃんとA太郎のペアのことがあまり好きではなかったのだけど、物語終盤、空港でA太郎が「もう二度と会わないよ」と言うところではジーンときてしまった。きっと二度と会わないつもりで別れないといけないであろうことは想像できるけど、付き合いが長くてLOVEではないにしろ好きな友人をひとり失うのはやっぱり悲しいし寂しい。でも、このセリフがA太郎の口から出てきたことが彼の変化と成長の一番の印なのだと思う。

 

エピソードではゆうこちゃんとけいこちゃんの友情が描かれる回がめちゃくちゃ好きだった。一巻の時点では正直なぜえいこちゃんはこのふたりとつるんでるのだろうと思ったりしていたが、彼女たちの間には互いへの尊敬と大きな愛があるのだ。たとえ相手をモチ女と罵ったとしても。東京タラレバ娘がアラサー女の友情のリアルだと勘違いしている人にリアルはこっちだと教えてまわりたい。あと中央線沿いでハシゴする回に出てくるお店が全部おいしそうでGoogleマップに保存しまくった。

 

こんなにキャラの人気投票の結果が読めない漫画は珍しい気がするけれどそんなことないのかな。わたしはやっぱり女として憧れる(かわいい!と思う)のはゆうこちゃんだけど、シンプルに一番いい人なのはヒロくんだよなと思う。

 

わたしだって大団円を迎えたいけれど、そのためにはやっぱり自分の考えていることを言葉にするとか、相手と根気よくコミュニケーションを図るとか、めんどくさいことを乗り越えないといけないし、なにより自分の迎えたいラストをきちんと描かないといけない。骨が折れるね。ゆるくたのしく潮に流されて、気付いたら溺れていました、なんてことにならないように。もし、仮になってしまったとしても「わたしの場合はそれでよかったのだ」と思えるように。

許せてないのは自分だけ

自分の誕生日をアピールするのは、なんとなく下品で浅ましいことである、という意識がずっとあって、インスタのストーリーでも触れないし、(そもそも数ヶ月に一度しか投稿しない)LINEの誕生日も登録しない、を貫いていたけれど、初めて友達がお祝いしてくれたポストを引用する形で言及したら、いろんな人がおめでとうって言ってくれてうれしくて、なあんだこんな簡単なことだったんだ、と拍子抜けしてしまった。

似た話で、仲がよくて週一で遊んでいるご近所の友達から「あなたは気を遣いがちで遠慮するタイプだから、たまにわがままを言ってくれるとうれしいよ」と言われて、うっかり泣きそうになった。

お誕生日です!と主張するのも、あれが食べたい、ここに行きたい、あれが欲しい、と言うのも、勝手に自分がだめだと決めつけてただけで、別に悪ではないらしい。アラサーになって初めて気づくことが多い。

この前は出先で花粉症の症状がひどくて、もう鼻かみすぎて取れるんじゃないかと思うくらいで、イライラして恋人にちょっと感じの悪い返しをしてしまったことがあった。後から反省して100円ちょっとの飲み物を渡しながら八つ当たりしてごめんなさいと謝ったら、「え?俺八つ当たりされてたの?」とヘラッと笑われた。

薄々気づいてはいたけれど、わたしは自分への期待値が高い。謙虚で、不満を顔に出さず、先を見越して薬を多く飲むとかの工夫ができて、いつも機嫌がよく、自分ではなく周りを優先できて。

でも、身の回りの人の顔を思い浮かべると、必ずしもそうじゃなくても別にいいのだ。突然「どうしてもビアードパパが食べたい!!買ってくるけどいる!?」と聞いてくる友達に嫌な思いをしたことなんて一度もない。むしろ、率直なところがかわいいなと思えるのに、自分のことになると許せなくなるのはなんでだろう。

29歳はもっといろんなことを許せるようになりたいな。多分いきなり全部は無理だけど、少しずつ。あ、でも許されない遅刻とかはしないように気をつけます。

追い焚き機能は生憎なくて

恋人におすすめされてA子さんの恋人を読んでいます。今4巻。苦しい。なんでこんな苦しい漫画をおすすめしたんだろうという気持ちと、絵も好きでめちゃくちゃ面白いのになんで今まで読んでなかったんだろうの気持ち。やっぱりこうやってぐるぐるうだうだ考えるのが好きと思われてるのかなぁ。好きっていうか性格的に避けられないだけなんだけど。

えいこ、けいこ、ゆうこの中で、今の所一番共感するのはけいこちゃん、一番憧れるのはゆうこちゃん。やっぱりマトモであるという特性は恋愛市場においては価値を生まないというわたしの仮説は正しいのだろうな。わたしだって体型のこととか気にせず好きに食べて飲んでべろべろに酔っ払っちゃう子になりたかったんだから!

えいこちゃんの気持ちもたまーに分かる時がある。わたしもぬるま湯が好きなタイプで、今も相手にぬるくていい?と確認をとったうえではあるけどぬるま湯に浸かっているから。ぬるま湯って浸かっていても少し寒くて、上がった時の寒さに耐え切れるほど身体があったまらないのが厄介なのだ。分かってるよ。ずっと浸かっている訳にもいかないのも知ってるよ。あとちょっとだけ、ちょっとだけって粘っているうちに寝ちゃったりするんだよね。

好きってなんなんだろう、と思う。30手前で何言ってんのと笑われちゃうかもしれないけど、いまだによく分かってない。お酒や海外旅行のことははっきり好きだと分かるのに対して、恋人のことが好きなのかはよく分からない。ぼんやりしている。たしかに大事だけど友達へ感じる大事と何が違うのか。結婚に踏み切れる人はすごい。好きだから結婚する訳じゃないよって言われるかもしれないけど、そんなこと言われたら余計に訳が分からない。結婚しないことがある程度許される世の中で、わざわざよく分からないことをしようと思えるのってすごい。えいこちゃんが結婚について全然ピンと来てなくて安心した。わたしだけじゃなかった。

お花屋さんでミモザが売ってたよとか、花粉がひどいねとか、後輩が全然仕事しなくて困るんだとか、そういうことを話していいし、ある程度わがままを言ってもいい(と一般的に考えられている)相手がいる心地よさに肩まで浸かってしまって、自分から上がるのはしんどいから、適当なタイミングで向こうにお湯を抜いてほしいなとまで思っている。だってわたしぬるま湯を熱々に沸かせるほどのパワーないし。ひどいな、我ながら。

連休続きで週休3日に慣れてしまったところへの5連勤はキツかったので疲れてるのかも。早くぬるくないお風呂に入って寝よう。

恋愛を通して悪癖がさらされる

誰かに言いたいけど誰にも言いたくないことを書けるのが匿名ブログ、こうしてデジタルタトゥーは刻まれていくのですね。

孔子が立つのと同じくらいの齢にしてはじめて恋人ができました。腐れ縁的な相手なので待ち合わせで一目見てキラキラドキドキ!みたいなものとはかけ離れているけれど、やっぱりそれなりに浮かれている、と思う。

でも、どうしても自分が浮かれるのが許せない。だって今までずっとわたしには要らないものだと強がりではなく本当に思っていたから。ここで浮かれちゃうと自分の今までの価値観や、もっと大袈裟に言うと生き方を否定してしまう気がして、ほっぺたや腕の内側を一生懸命つねって(比喩です)なんとか地に足を付けている。

「なくても全然平気」だと思っていたものを「失くすのが怖い」とか「ないと困る」と思うようになるのもひどく不安で、そういう意味で恋人の私物を部屋に置く時毎回ゾワっとする。我ながらどうしてこんなに物事の終わりに思いを馳せて嫌な気持ちになるのかと思うけど、それは恋愛に限らずすべてそうだったので性質としかいえない。

みんなずっとこんな難しいことを器用にこなしながら受験や部活やアルバイトや就活や仕事を乗り越えてきたのかと思うと感服しかない。これを人に言うと何がそんなに難しいのと聞かれるけれど、脳のリソースをめちゃくちゃ奪うから疲れるじゃんと言っても伝わらない気がして諦めて曖昧に笑ってしまう。シンプルな交際でコレだと同棲や結婚や出産なんて考えはじめたら脳が割れるんじゃないかと怖くなる。

ずっと恋愛も国語や数学や英語みたいに得意と苦手があると思っていたけど、その確信は強まった。わたしはやっぱり数学と物理と体育と恋愛が苦手。補助線をどこに引いたらいいのか分からない苦しみと、考えることが多くてどうしたらいいのか分からない苦しみは少し似ている。

考えすぎるのをやめればラクなのも、もっと酔えたら楽しいのも分かっている。でもどっちもできないことも分かっている。めんどくさいね。

コンプレックスはひとつ減ったけど、下手であるという点できれいになくなった訳ではなくて、新たに苦手なことも見つかったりして。恋人ができたからといってめきめきと自己肯定感が育つこともなく、突然卑屈なことを言って相手を困らせるのは友達相手でも恋人相手でも変わらない(これは本当に早くやめないといけない)

 

酒の席で久しぶりに会った上司に私生活の話をしたら、あなたは恥ずかしがり屋だし、自分がはしゃいでいいのはここまでと決めてしまいそうだけど、ちゃんとはしゃいだ方がいいよ、楽しいよ、と言われてこの人よく見てるなぁと感心してしまった。

自己肯定感がうんぬんなどと言い訳せずに、はしゃぐ努力も必要なのかもしれない。努力せずに自然にはしゃげる人と比べて落ち込むのはもうやめたい。ずっとそうして血眼になって自分ができないことや苦手なことを探してきたけれど、やっぱり疲れるし周りを困らせてしまう。

全然まとまっていないけど、とにかくいろいろ考えすぎて疲れているものの、それは恋愛が悪いわけじゃなくて自分の性格の問題で。もう少し身軽に飄々とはしゃぎたい気持ちはあるので、うだうだ言い訳せずに努力をしないとなぁと思っています、はい。

生きてます

ふと、そういえばわたしブログやってたな、と思い出して、勢いに任せてぜんぶ遡って読み返して、ちょっと恥ずかしい気持ちと自分の変わらなさに呆れる気持ちのハーフアンドハーフ

20歳のお誕生日に更新している記事があったけど、気づけばもう27歳です、こわー

でも相変わらず真面目な話が苦手だし、特に理由もなく夜更かししちゃうし、学生から社会人になっただけで根っこは変わってないなぁと改めておもいます

 

周りと話してるとみんな大人になっちゃってつまんないの、と思う時がある

わたしはお気に入りのドラマとか、行ってみたい国とか、激ヤバ上司エピソードとか、最後の晩餐は何がいいとか、そう言う話をダラダラお酒飲みながらゲラゲラ笑ってしたいのだけど、すぐやれ結婚だ、投資だ、キャリアだの話になっちゃってしょぼんとしちゃう

たぶんね、きっとみんなが正しくて、わたしが子どものまま変われてないのが問題なんだけど。それは分かってるんだけど。ふるさと納税はちゃんとやってるから許してもらえないかなぁ

いつかツケが回ってくるのかな。いろんなこと見えないふりして、目先の楽しいことを優先して、嫌なことはお酒と推しで霞ませて。でもさぁ、辛いことなんて個人の努力に関わらずいつ降りかかってくるか分からないんだから、それまでは愉快に踊ってたくない?だめですか?

ま、そんな感じであいも変わらずちゃらんぽらんと生きています。

美人はいいよねという蟻地獄

凪のお暇、ちょっと感想を書くのをサボっている間に最終話が4日後まで迫っていました。

凪VSお母さんの戦いが軸になりながらも、慎二、ゴン、円のストーリーもおざなりにならないのがすごいなと思います。坂本さん、うららちゃん親娘、緑おばあちゃんまで、脇役でも脇役っぽくなくてとても好きな脚本です。

 

円のポジションは独特ですね。空気を読もうとする凪、読めない坂本さん、作っていると思ったらめちゃくちゃ読んでいる慎二、読めちゃうゴンに加え、壊しちゃう円といったところでしょうか。派手な顔立ちではないけれど美人で、清潔感があって健気で頑張り屋さんで、目上の男性に可愛がられそうな感じ。ナイスキャストだと思います。

円の慎二へのアプローチの積極的な感じや、慎二の居合わせる場で一番強いお酒を頼むあたりが、確かに同性からするとウワッと思うところも無きにしも非ずなのですが、あの職場の人たちの反応にはちょっと首を傾げてしまいました。彼女が異動になった途端に契約が切られた理由を、相手は彼女の顔目当てだったと結論づけるのはあまりに短絡的というか、それを言ったらおしまいやがなと思うのです。仮にそうだったとしても、看板だった彼女の顔を失った今、できることは何だろうって考えないと、容姿に恵まれない人は何もできませんって言っているのと同じじゃないですか。それって、自分も辛いし何も生まないじゃないですか。

彼女は自分の容姿の良さにあぐらをかいて何も努力をしないか、というとそうではなくて、ピンチの時には休日返上で自分から動いて、それによる功績を鼻にかけたりもしない。だからこそ、「私のどこが好きでしたか」という円の質問に慎二が考え込むシーンは見ていてすごく辛くなってしまいました。顔と言いかけた瞬間にビンタできたのは偉いと思います。よくやった。もっと見る目のある人と幸せになってほしいです。

 

本筋の凪の話をすると、結局慎二ともゴンともくっつかずにラストになるだろうとは思うのですよ。慎二とは妄想で描かれた結婚生活が全てを物語っているし、初恋はなんとやらと言いますので、ゴンともないかな、と。ただ、慎二の活躍が大きくてかすみがちですが、ゴンの功績も大きいんですよね。今回お母さんに面と向かって嫌いだと気持ちを言えたのはおそらく彼のアドバイスあってこそだし、そもそも顔合わせにくるくるヘアで向かう時に彼女を支えたのは、ゴンの「人って変われると思うよ」だと思うのです。シチュエーションを救う慎二と、メンタルを救うゴンの助けを借りて、凪チャンはどこへ向かうのでしょうか。終わっちゃうの寂しいな。

 

そして焼かれた青い鳥

凪のお暇第5話の話です。とうとう円ちゃんがストーリーに絡んできました。

円は確かに顔が圧倒的に可愛いのですが、どうしても「彼女は八方美人なのか…?」と違和感を覚えてしまいます。私だけでしょうか?職場の女性に疎まれている時点でそれは八方ではないのでは...と思ってしまいます。
実は凪チャンの「あ、私また空気読んでる」のモノローグが入る時にも、「それ、空気読んでるというか言いたいことを我慢しているだけでは?」と引っかかってはいたものの、「空気は読むものでなく吸って吐くものだ」というコピーに繋げるには仕方ないかと気にしないようにしていました。

この物語の中で、本当に空気を読んでいるのは慎二だけだし、本当に八方美人なのはゴンさんだけだと思うのです。例えば、円が足立さんたち三人組に囲まれたとき、慎二だったら、
「いや〜実はあの時ウワッって思ったんですけど、上司だから言えないじゃないですか〜ほんと困りますね。今度何かあったらこっそりご相談してもいいですか?」
とか言いそうだし、ゴンさんなら、
「ん〜まぁそんなに気持ち悪いとかはなかったんですけど、それより、皆さんが心配してくれたのが嬉しいです。優しいんですね」(にっこり)
なんて言うのではないでしょうか。職場にも円みたいな女の子、いるんですよね。「私気がついたら女の子に嫌われているんですよね」という相談を男性にしてしまうタイプ。最初、私はその子のこといけ好かないなと思っていたのですが、一緒に仕事をしたときに、その子が異性の中でも相手を選んで、例えば顔のかっこいい人にだけ、とかでなく、異性全員に同じ態度で接していることに気がついて、この子はそういう習慣がついているだけなのか、と妙に納得したことを覚えています。誰に対しても同じ態度なので、稀に彼女が自分に気があると勘違いする人も出てきたりして、軽いトラブルになることもあるけれど、「でも突き放すことはできない」と言っていました。私がその場を盛り上げるために思ってもいないことを言って、あとから後悔するのと似ているなと思うと勝手にシンパシーが沸いて、今では結構いい友達だったりします。社会人になると、学生時代は絶対に仲良くなかったタイプと仲良くなれたりするので楽しいです。

 

印象に残ったのが、人はなぜ旅に出るのか、という話でした。私は旅行が大好きで、国内も海外も行きたい場所だらけ。なんで旅行が好きなのかなんて考えたこともなかったので、凪チャンのセリフは新鮮でした。

私は旅行に行くと、あー世界は広いなぁってとても安心するのです。普段生活していると、まるで自分の周りの世界だけが日常の全てみたいになってしまって、電車が3分遅れるだけでもイライラして、全部キリキリ音を立てて進んでいくような気がしてしまいます。それが旅行に行くと、途端におおらかになれて(一緒に行く人にも依るかもしれませんね。私は一人旅大好きです)自分の見ている「世界」なぞちっちゃいものだと改めて認識できるから好きなのかもしれません。あとは食いしん坊なので、なるべくたくさんの味の食べ物を食べてみたいというのもあります。

単純に、いつかここに行ってみたい!という場所があると、ワクワクしていいですよね。私は死ぬまでにマチュピチュに行ってみたいのですが、果たして叶うでしょうか…
そんなことを思いながら、6話を楽しみにしています。