恋愛を通して悪癖がさらされる

誰かに言いたいけど誰にも言いたくないことを書けるのが匿名ブログ、こうしてデジタルタトゥーは刻まれていくのですね。

孔子が立つのと同じくらいの齢にしてはじめて恋人ができました。腐れ縁的な相手なので待ち合わせで一目見てキラキラドキドキ!みたいなものとはかけ離れているけれど、やっぱりそれなりに浮かれている、と思う。

でも、どうしても自分が浮かれるのが許せない。だって今までずっとわたしには要らないものだと強がりではなく本当に思っていたから。ここで浮かれちゃうと自分の今までの価値観や、もっと大袈裟に言うと生き方を否定してしまう気がして、ほっぺたや腕の内側を一生懸命つねって(比喩です)なんとか地に足を付けている。

「なくても全然平気」だと思っていたものを「失くすのが怖い」とか「ないと困る」と思うようになるのもひどく不安で、そういう意味で恋人の私物を部屋に置く時毎回ゾワっとする。我ながらどうしてこんなに物事の終わりに思いを馳せて嫌な気持ちになるのかと思うけど、それは恋愛に限らずすべてそうだったので性質としかいえない。

みんなずっとこんな難しいことを器用にこなしながら受験や部活やアルバイトや就活や仕事を乗り越えてきたのかと思うと感服しかない。これを人に言うと何がそんなに難しいのと聞かれるけれど、脳のリソースをめちゃくちゃ奪うから疲れるじゃんと言っても伝わらない気がして諦めて曖昧に笑ってしまう。シンプルな交際でコレだと同棲や結婚や出産なんて考えはじめたら脳が割れるんじゃないかと怖くなる。

ずっと恋愛も国語や数学や英語みたいに得意と苦手があると思っていたけど、その確信は強まった。わたしはやっぱり数学と物理と体育と恋愛が苦手。補助線をどこに引いたらいいのか分からない苦しみと、考えることが多くてどうしたらいいのか分からない苦しみは少し似ている。

考えすぎるのをやめればラクなのも、もっと酔えたら楽しいのも分かっている。でもどっちもできないことも分かっている。めんどくさいね。

コンプレックスはひとつ減ったけど、下手であるという点できれいになくなった訳ではなくて、新たに苦手なことも見つかったりして。恋人ができたからといってめきめきと自己肯定感が育つこともなく、突然卑屈なことを言って相手を困らせるのは友達相手でも恋人相手でも変わらない(これは本当に早くやめないといけない)

 

酒の席で久しぶりに会った上司に私生活の話をしたら、あなたは恥ずかしがり屋だし、自分がはしゃいでいいのはここまでと決めてしまいそうだけど、ちゃんとはしゃいだ方がいいよ、楽しいよ、と言われてこの人よく見てるなぁと感心してしまった。

自己肯定感がうんぬんなどと言い訳せずに、はしゃぐ努力も必要なのかもしれない。努力せずに自然にはしゃげる人と比べて落ち込むのはもうやめたい。ずっとそうして血眼になって自分ができないことや苦手なことを探してきたけれど、やっぱり疲れるし周りを困らせてしまう。

全然まとまっていないけど、とにかくいろいろ考えすぎて疲れているものの、それは恋愛が悪いわけじゃなくて自分の性格の問題で。もう少し身軽に飄々とはしゃぎたい気持ちはあるので、うだうだ言い訳せずに努力をしないとなぁと思っています、はい。