何より健気な扇風機と豆苗

凪のお暇4話の話です。いやいや凪チャン、凪どころか大時化じゃないの、とドラマを観ていて思いましたが、そうか、空気を読んで波風立てず、凪の状態を保つために腐心することに対して「お暇」しているのか、と勝手に納得してしまいました。
ゴンさんの苗字、安良城も、これ音読みと訓読みを入れ替えれば「やすらぎ」って読めるじゃん…!?と気がついて独り合点しているのですが、考えすぎでしょうか。

キャラクター設定の話で言うと、慎二が次男坊なのも、ゴンさんが姉妹の中で唯一男の子なのもよくわかるし、凪チャンのいつも背筋がピンとしているところとか、基本的に床には正座で座るところとか、仲良くなっても敬語で話すところとか、厳しいお母さんの元で育ったという生い立ちが滲み出ていて、すごいなと思います。

さて今回の話で、ゴン派から慎二派に切り替えた人が大勢いるような気がします。(ちなみに私は慎二の不器用さをかわいいなぁもう!と言えるほど器が大きくないし、冗談でも面と向かってブスって言う人のことは信用できないので、今でもゴン派です)

誠実さってなんだ、という話だと思うのです。目の前にいる、「めちゃくちゃ顔がかわいい」円にゴメンと言って、凪の目を醒ますために立川まで向かう慎二が誠実なのか、目の前にいる凪の微妙な雰囲気の違いを感じ取って、すぐにドライブに連れて行ってくれる(悪意のある言い方をすればご機嫌を取ってくれる)ゴンさんが誠実なのか。
女姉妹の中で育つとこういうスキルが身につくというのはすごくよく分かります。

きっとまともな答えで言うと二人とも誠実ではなくて、慎二はいざ凪と対峙したときに自分の本心を一切言わず、凪を傷つけることばかり言うし、ゴンさんはユニットバスの洗面台が全てを物語っている。じゃあ、坂本さんの好きな少女漫画とは違って、本当に誠実で完璧な王子様なんて存在しない中で、凪チャンはどちらを選ぶ、はたまたどちらも選ばないのか、という。

ゴンさんの洗面台に綺麗に並べられたシャンプーおよび基礎化粧品の類たちは、彼にとっては邪魔なはずなのに、それらをまとめてどこかに除けるでもなく、捨てるでもなく、綺麗に並べたままにしているのですよね。きっとエリィちゃんの言う「倒れていった女の子」たちのものも残っているのでしょう。あれを眺めて「俺はこんなにたくさんの女の子たちと仲良くなったんだ!」って一人で満足するようなタイプにも思えないので、純粋に「また来てくれた時に無いと困るかなぁ」と取っておいているのでしょうか。心理が知りたい…

恋に堕ちていく凪チャンは見ていてハラハラしましたね。私、一回細かいシチュエーションは全く違うものの不毛な恋に現を抜かしていたという点で凪チャンと同じような時期がありまして、その渦中、幼なじみの女の子に「二人で一緒にいるときは楽しいからいいの」という趣旨の発言をしたのです。その時の彼女の冷たい目線、「あーもうコイツには何言っても無駄なんだろうな」っていう目線が今でも忘れられないのですが、その目線の温度を思い出すと同時に、端から見たら私こんなにイタかったんだ、って別の意味で血の気が引きました。もし当時私が凪チャンみたいに職探し中で、時間がほぼ無限にあるような状況だったら、と考えるとゾッとします。怖いですね。そんな訳で来週も楽しみです。

癒し系の正体は?

凪のお暇第3話、ネットでも話題になったシーンはいくつかありますが、個人的には婚活パーティーのシーンが印象深かったです。凪チャンはあんなに引きつった笑顔で困ったな〜というオーラ全開なのに、男性陣からは大人気。Tシャツにジーパンという出で立ち+無職のステータスでああなるだろうか?という疑問はさておき、凪チャンにとっては非道く居心地の悪かった空間が、相手にとっては居心地よく、癒されるものだった…という状況は、おそらく彼女にとっては珍しくないのだと思います。

「癒し系」や「いじられキャラ」とカテゴライズされる人は、同じような経験を持つ人が多いのではないでしょうか。ちょっとキツいことを言ったら「そんなこと言う人だと思わなかった」なんて勝手にがっかりされて、よく分からないけれど自分も落ち込んでしまうとか。

癒し系とされるには、「優しい」「のんびりしている」「穏やかである」「人を和ませる」などの癒し要素が必要とされる。これらの要素は、本人の雰囲気に自然に含まれていることが重要で、作為的に形作ったことが露骨に出ている・キャラクターとして演じている事が明白である場合は、癒し系ではなく単なる「ぶりっ子」とみなされる。(出典:Wikipedia

そもそも癒し系ってなんなんだろう、と思って、ググってみたら定義としては上記の通りのようです。元彼の前でお酒が飲めないフリを演じるような凪チャンは完全にぶりっ子なのに、関係の浅い人にも深い人にも癒し系と思われていて、その「癒し系の大島凪像」に苦しめられていた(る)というのは皮肉です。

空気を読もうと思ってもその場における最適解が分からず、とりあえず謙虚で相手を否定しないリアクションを取り続ける凪チャンは「癒し系」で、空気を読んで相手が言ってほしそうなことを言える慎二は「ムードメーカー」。どちらの言葉もすごくポジティブな意味で使われるのに、両者共に対人コミュニケーションに自信がなかったり不満を抱えていたりするのは、他者の都合のいいように振る舞っている自覚があるからなのでしょう。関係性を崩さない程度に自分らしく振る舞うって、相当難しいですよね。最終回までに、二人は自分なりのベストバランスを見つけるのでしょうか。

あ、でも慎二の前で下戸を装っていたというエピソードは、正直「凪チャンそんな器用なことできたんだ」と思ってしまいました。(失礼ですみません)だってこれって割と慎二寄りのスキルというか、「あぁこの人はお酒があまり飲めない彼女の分まで飲んでやる俺になりたいんだ」と察して演技ができるってすごく器用なことなので。それを小癪な女と自嘲的に言ってしまうところに胸がグッとなりました。そこであんな優しいこと言われたら、ゴンさんのこと好きになっちゃうよねぇ…

余談ですが、元同僚の足立さん、婚活パーティーで知らない人が困っているところに割って入り助けてあげるなんてすごくいい人だし、再会した時に失礼な発言をきちんと詫びる凪チャンもいい子。完全な善人も悪人もいないところがリアルで魅力的だと思います。

好意と嫌悪と共感とホットポテト

この前友人とマリオパーティーをやっていて、私がスターのマスに着く直前でミニゲームに惨敗し、コインを大量に失った結果、スターを取れなかった時に、「すごくあなたっぽい展開だね」と友人に言われるような私にとって、凪のお暇2話の"ホットポテト理論"のくだりはギクッとする話でした。

学芸会の役を決める時に、最初は主役4人のうちの一人を希望していたものの、負けに負けを重ね、準主役にも、悪役にも、森のうさぎにもたぬきにもなれず、最終的に木の役になるという、漫画みたいな経験もしたことがあるほど、私は"そういう勝負"に弱いです。引きが悪い人生だと思ってはいたけれど、それが私の性質に由来するものだと言われると、ちょっとへこみます。

自分のことを大人しいとはちっとも思わないけれど、それなりに親しい人(つまり、実はわたしの口が悪いことを知っている人)から見ても、私には文句や愚痴を言いやすいらしいです。なんでだろう。いつも眠たそうな顔しているからかな。

でも、逆に言うと、例えば今までババ抜きで三連敗したら「なんで私ばっかり!」ってちょっと機嫌を斜めにしていたところが、「まぁしゃーなしか」って思えるような気もします。マリオパーティーで負けようが、リーダー決めのじゃんけんで負けようが、「ホットポテト発揮してる〜」と思えば、憤慨も落胆もしなくて済むかもしれない。いや、それでもまだちょっと悔しいけれど。

 

凪チャンは、営業部のエースと付き合えるほどの、ゴンさんに「かわいい」と言わしめるだけの容姿と愛くるしさを持っている、完全に「あっち側」の人間なのに、ただババ抜きがめちゃくちゃ弱いというそのエピソードだけで親近感を持ってしまうなんて、チョロいもんだよなと我ながら呆れます。「ちはやふる」の太一くんもそうだったけど、ついつい"持っていない"キャラクターは応援したくなってしまうのです。

とは言いつつも、凪チャンも完璧な女の子としては描かれていないのがこの漫画、およびドラマの上手なところ。本当に相手思いの優しくていい人ならば、仕事の引き継ぎをハガキでさせたりしないでしょう。そういうところも、親近感を抱かせるのです。

というわけで、今週も金曜を楽しみに、あと3日頑張ろうと思います。

誰が「カット!」と叫ぶのか

凪のお暇、ドラマ始まりましたね。

あのドラマを先週見ていて、自分は凪チャン側なのか、慎二側なのか考えてみたのですが、多くの人は、どちらか一人というよりは二人のキャラを上手く使い分けているのではないでしょうか。少なくとも私はそうです。
あの二人の持つ問題の根底は、恐らく主役が他人の人生を生きていることで、その点では似た者同士なのだと思うのです。

私は"その場のノリで"嫌いじゃないどころか大好きな人の悪口を言ったりしちゃうタイプなので慎二の気持ちはなんとなく分かります。好きな相手のことほど、惚気る方がよっぽど難しいし、正直な気持ちを言ってスベるくらいなら、適当なことを言ってウケる方が"正しい"気がしてしまうタイプなのだろうな。
凪チャンの部屋という二人しかいない空間で、本人に対してああいったセリフを吐く人はそういないかもしれませんが、似たメンタリティの人間は割とその辺にゴロゴロいる気がします。二人とも幸せになってほしい…

凪チャンが自分が何をしたいのか考えても何も思いつかなくて焦るシーンはとても印象的でした。「何でもいいよ」って便利な言葉で、たくさん使っていると、自分の選びたいものが何だったのか、本当に分からなくなってしまうのです。何かを決めるってすごくエネルギーを使うから、当たり前なのかもしれないけれど。

でもそれじゃいかんと思った凪チャンは、他人に預けてしまったカチンコをどうやって自分の手に取り戻していくのか、とても気になるし身につまされるドラマだなと思いました。

話は逸れますが、最後凪チャンの髪をドライヤーで乾かすのが、ゴンさんじゃなくて本当によかった。その方が画にはなるものの、そういう白々しい演出があるとケッてなっちゃうもの。

潜れど潜れどそこは

小さい頃の夢は忍者だった。その次は魔法使いになりたかった。魔女の宅急便を見ては魔女に憧れ、リトル・マーメイドを見ては人魚に憧れ、SPECを見てはスペックホルダーに憧れてきたけれど、結局平日は毎日満員電車に揺られて、上司の悪口を言いながら働く普通の会社員になった。

音楽も小説も詩もわたしを救うけど、たまにそれらは(私の精神状態次第で)鋭く冷たい刃を突きつけてくる。わたしはやっぱりどこまで行っても普通の人で、なりたかった「何かを持つ人」にはなれないんだ、という現実を。

空飛ぶほうきや美しい尾ひれ、時間の進みを遅らせる能力がないのはまだ分かる。
でも上手に歌が歌えるだとか、心を動かす文章を書けるだとかは、自分から距離が近いだけにどうしても憧れてしまう。ともすれば手に入るんじゃなかろうかとまで思ったりしてしまうけれど、プロと言われる人たちを見ると、やっぱり普通じゃないのだ。努力の仕方も、かける時間も、それのために捨てたものの多さも、そしてその仕事をしている時の輝きも。

もしアラジンの魔法のランプが手に入ったとして、わたしは何を願うだろうとこの前ぼんやり考えたとき、最初に思い浮かんだのが「天職を教えてほしい」だった。でも、きっと、何をやっても三日坊主のわたしの天職は会社員なのだろう。会社員は会社員でも、何の肩書きもない普通のサラリーマン。

ずっと肩書きがほしかった。私はこういう人間です、って言える何か。でもね、ここまで生きてきてようやく分かってきたけれど、わたしはひどく普通で死ぬほど特徴がない。だからこそ普通じゃない何かに憧れていたのかもしれない。変わってるね、も面白いね、もわたしにとっては褒め言葉だった。

天職がサラリーマンならば、もうスーパーサラリーマンになるほかない。正直つまんねぇなと思わない気持ちはゼロではないけど、仕方ないのだ。土日は誰かの作ったもので楽しんで、適当にお酒を飲んでストレスを発散して、平日は粛々と働くしかない。そして三連休が終わります。

愛がなんだ?

一年以上放置していたブログをなぜ書こうと思ったかというと、愛がなんだを観たからです。

しんどい映画なのは知っていたし、しんどくなるのも分かっていたので、一人で観に行きました。その選択は正解だったけど、感想は感想で言いたくなるもので。

四人の主な登場人物のうち、誰に共感したか、という質問はとても難しい。少なくとも私は、全員のいいところとわるいところをちょっとずつ持っている。

テルコを愚かな女だと馬鹿にすることもできないし、
マモちゃんをクズ男だと一蹴することもできないし、
葉子ちゃんを最低な女だと糾弾することもできないし、
ナカハラを意気地なしと決めつけることもできない。(劇中のテルコがそうしたように)

一人の人間の中に、テルコと葉子は併存しうると思うのです。
だって、私の中にも二人ともいるもん。夢を見る合間に現実をみたり、現実を見る合間に夢をみたり、人に振り回されたり、人を振り回したり、ねぇ、みんなもそうでしょう。

対等な関係って、こと恋愛においてはとても難しい。
好きになりました、付き合ってください、で始まる中学生とかならいざ知らず、
大人になると仕事も金銭も価値観も過去も将来も、いろんなゴタゴタが絡んだうえでの"付き合う"だから、そもそもスタートが並列じゃないことの方が多いと思う。

今回、テルコとナカハラ(と、対すみれにおけるマモちゃん)は、「弱者側」だった訳だけど、毎回そうとは限らない。テルコのことが大好きな男の子が現れて、二人が付き合うことになった場合、今度はテルコが「強者側」になるだろう。
だって、テルコにとってはマモちゃん以外はどうでもいいことなのだから。
どうでもいい相手に対して誠意を持って大切にするなんて、普通の人間にはできない。
そうだよね?マモちゃん、葉子ちゃん、スミレさん。

観ているときもしんどかったけど、こうやって振り返っているとますますしんどくなる。なのに、もう一回観たいと思ってしまうほど、魅力的な映画でした。幸せになりたいっすね。

 

余談ですが、私は恋愛物語の中で描かれる女同士の友情がとても好きで、この映画はそこがオアシス的に?丁寧に描かれていたのが素晴らしかった。
葉子ちゃんからもスミレさんからも、テルコが大切にされているの、わかるなぁと思ったし、テルコがスミレさんのことを憎めないのもわかるなぁと思った。
いるよなぁこういう人、と全ての登場人物に対して思えるの、すごいよね。あーやっぱりもう一回観に行こうかなぁ。

まぁ元気で まぁ幸せで まぁ大丈夫

元気?と聞かれて、「あ、まぁ 元気だよ」と答える、その「まぁ」の間にきっと
他のいろんな元気じゃなさそうな人の顔を思い浮かべているんだと思う
10年飼ってた犬が死んじゃったおばさんとか
上司にいつも怒鳴られてるあの子とか
自転車でコケて骨折したおじいちゃんとか エトセトラ
だから、自分の答えを他人事のように聞いて、「確かに元気だな」と妙に納得するのだ

 自分はまぁ元気に、まぁ幸せにやっていると思う
だってインフルエンザにはかかっていないし
今日は早く家に帰れたし
信玄餅アイスは美味しいし。

会社の飲み会の幹事を押し付けられて
イヤフォンをどこかで失くして
駅の階段から落ちたけど、まぁ大丈夫、大丈夫 

でもそうやって相対的にしか元気かかどうかが分からないから
体温計を失くしたら自分が元気なのか熱があるのかさえ分からなくなったりね
野菜ジュースで自分を騙して電車に乗り込んだら勝ち!
って何と戦ってるんだ一体

そんなこと言ってないであったかくして早く寝ましょうね