筆とキーボード

味気のない毎日の中に無作為に放り込まれた飴玉を心の支えに生きるって、すごく真っ当なんだろうと思う。

そういう意味では今すごく人間らしい日々を送っているのかもしれない。

普通とか平凡ってよく分からない。私が言わなくても今まで散々いろいろな人の口から出てる言葉だと思うけど、本当に分からない。

ただ普通を維持するには普通の努力じゃかなわないんだろうな。

 

端から見たら当たり前なのか、頑張っているのか、甘ったれているのか。

自分以外にとっては総て他人事だから、知る由もないのだけど。

私は多分単に甘えているだけなのは分かってるんだけど、だからって辛さが軽減される訳ではなくて。世間は厳しいから、うっかり愚痴をこぼした日には説教を食らいかねないから油断もできない。

自分に厳しくなれないなら、せめて人に優しくありたい。

いつだって現在進行形の悩みが暫定一位、というのが私の持論だ。

受験生の時も大変だったけど、それを乗り越えられたと結果を知っていれば怖くない。映画での主人公の回想シーンと同じ。その後を知っていればハラハラしていてもどこかで安心している。

ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき

あれほど辛いと思った日々さえ今では恋しいのだから、長生きすればいつか、この今も愛しく思えるのだろうか、といった意味です。

初めて意味を知ったとき、遥か昔に生きた人も同じようなことを思っていたのか、と感動した。それにちょっと救われた。

やっぱり国文科に行くべきだったかなあ、とも思うけど、ればたらは始めたら尽きないからやめておこう。

 

今日は長文乱文だ。(乱文はいつも)

上手に面白かったり綺麗だったりする文章が書ける人、尊敬の念しかない。