腕時計さえ重い朝

予定が詰まっていれば所謂リア充、っぽいけれど、それは見てくれだけの話であって。

学園祭の期間中に自分の趣味で忙しく動いていたときは「やりたくてやっている」という一種の責任のようなものがあって、自分の意思で身体を動かしている実感があった。

それはたった3日間だったからなのかもしれないけれど、疲れたーと言いながらどこか楽しんでいた。

あらゆる現状はこれまでの選択の結果なのだからぐだぐだ言っても仕方ないのは百も承知 やめたいならやめればいいじゃんと言われてしまえば黙るしかない

けど、の先に優しい言葉を期待する私はまだまだ子供だと思う、

けど、わかってるけど。

 

久しぶりに考え事をしたら言葉が出てこなくて歯がゆいよ

今日中学生に英語を教えていたら、その子がずーっと眠そうにうつらうつらしていたのだけど、私も2限、4限と起きていられなかったから怒れなくて、帰り際にミンティアをあげた。自分に甘いと人に怒れないのよね。