ペンがくれる自由とその限界

初めてお話をつくった小学4年生の頃から、書くことが好きだった。

書道を習っていたから字を書くという行為が好きで、文章を組み立てることも楽しくて、よく友人と書いたお話を交換したり交代でお話を考えたりした。

中学、高校と部活やら何やらで忙しくてそういったこととは離れていった。

たまに素敵なフレーズを聞いたりストーリーを思いついたりすると胸がうずうずして、ノートの端に登場人物設定をメモしていた。が、彼もしくは彼女たちの物語が完成されることはなかった。

大学1年の夏頃、とにかく学校が嫌で嫌で仕方なくて、そんな自分を投射した主人公の話をつらつらと書いていた。が、それも次第に忙しくなるにつれやめてしまった。

結局、その程度なのだ。最近は小説もめっきり読まなくなってしまった。

文才があれば、と思うけど、才能があったとして私はそれをきちんと発揮させられるのだろうか。それだけの根気があるだろうか。

Twitterの140字の中でも魅力的な文を書ける人はいるというのに、私のフォロワー数は減るばかりだしなあ。

 

なーんて、小説家志望の先輩の話を聞いたからいろいろと思考を巡らせてみた。

こうして見るとやっぱり私は何もかも中途半端でだめだなー

才能のせいにしたがるところまで、徹底的に陳腐なのだ