もう球技大会に怯えなくていいのよ

大きくなればなるほど、私の存在なんて本当の本当に取るに足らないもので、仮に私が今バッターンと倒れても、世界は1秒前と変わらないスピードで動いていくことを実感して、その無関心さをありがたく思う。

幼いころは、世界は私を放っておいてくれなかった。時差なんて存在しない世界で、私は常に真ん中に立っていた。だからこそ悪も敵も多くて、この先戦い続けるなんて到底無理だ、大人って強すぎてヤバイと漠然と思っていた。

一応法的に”大人”になったものの、弱いままで笑ってしまう。まだ学生だからお子ちゃまと言われればそれまでだが、確かに手持ちのカードは少し増えた。大抵のものは保護者の同意がなくても買えるし、お酒に嫌なことを吹っ飛ばしてもらうことだってできる。ただ、それらはあくまで「手持ち」だ。それをいざ使うとなると、狭い方の世界でいろいろと支障が出てくる。結局、私のような小心者は身の回りのことをああだこうだと考えているうちに、何もせずに終わってしまうのが関の山なのだ。

大人って楽しいよと言われても信用できなかった。歩くうちに背負うリュックがどんどん重くなって、足が重たくなるのが人生だと思っていたから、荷物の軽い今が一番だと信じていた。今はそう思う部分と、手持ちの札が増えて楽しくなりそうと思う部分と半分半分...いや、やっぱり荷物が増えることに対する恐怖の方が大きいかもしれない。でも、昔みたいにエンドレスに何かと戦うものだとは自然と思わなくなった。みんながみんな休まず歩き続けているわけではなさそうだし、ちょっと休憩していてもカレンダーは進んでいく。それが別の焦りを生むこともあるのも、重々承知しているけれど。

なんだかまとまらないし、文体もいつもと違うけど、まあそういうこともある。いろいろ言っているけど社会人の人はすべからくすごいと私は思っています。私もあと数年ですごい人になれるのか、甚だ心配です。