それでもバースデーはハッピーでなきゃならない

一年の中で、ケーキが食べられてプレゼントがもらえる日は二回ある。クリスマスと誕生日だ。逆に言えば、小さい頃の誕生日の認識なんてその程度だった。7歳も8歳も大して変わらない、隣の席のあの子は私よりも10ヶ月も先に8歳になったけれど、同じ学年にいる限り教室も、校庭を使える時間も、やらなきゃいけない宿題も同じ。だから、誕生日はみんなにお祝いされてにこにこしていればいいだけだった。お母さんにお誕生日おめでとう、と言って「ありがとう、でももう嬉しくないなぁ」と返されたとき、「どうして?」と聞いたのは、本当に誕生日が嬉しくない想像がつかなかったからなのだ。

初めてお母さんの気持ちがわかったのは、18歳の誕生日だった。17歳という謎のきらきらした響きの一種のブランドは、手放すにはあまりに惜しくて、先に誕生日を迎えた友人たちに追いついたというのに、ちっとも嬉しくなかった。ちょうどそのくらいから、学年が一緒ならなんでも一緒、という当たり前も崩れ始めていく。あの子はもう原付バイクに乗れる。あの子は大学には行かずに専門学校に行くらしいし、あの子は就職するらしい。「ねえ、私たち、その気になったらもう結婚だってできちゃうんだよ」と友達に言われて、やけに胸騒ぎがした。親に、先生に、先輩に、常に守られる対象じゃない、という事実は、私にとって自由になる嬉しさよりも、得体のしれない心許なさをもたらした。

20歳になってお酒も飲めるようになり、投票権も手に入れたし、吸おうと思えばタバコだって吸える。小さい頃は本気で魔法のカードだと思っていたクレジットカードだって、ちゃっかり安物の財布のポケットに収まっていて、涼しい顔で「カードで」なんて言ったりする。バイトで貯めたお金で友達と旅行に行ったり好きなバンドのライブに行ったりするようになって、おやつを我慢して化粧品を買うようになった。今の私を、ランドセルを背負っていた頃の私が見たら「大人だ、いいなぁ」と思うかもしれない。でも、大人ってそんなにいいもんじゃなかった。世界は仕組みがわからなくてそんなにいい所じゃなくて、一寸先は真っ暗闇だし、ぶっちゃけ今私が立ってるところだって、全然安全じゃない。いいニュースよりも悪いニュースの方が多いし、素敵な人が突然いなくなっちゃったりするし、バカみたいに不条理なこともたくさんあるけど、帰りの会でみんなの前で謝って終わりにはならない。でも、いやだいやだーっていいながら、なんだかんだ21歳になったから、このままいけば22歳、23歳、24歳、ってアラサーに突入するような気もする。結婚できない、とか嘆きながら。もっとも1年先はおろか半年先、1ヶ月先のことだってわかんないけど。

正直、今はまだ歳をとって環境が変わることへ対する恐怖が大きくて、いっそ人生強制終了させちゃえば、って思う瞬間もある。何年か先、何十年か先、若気の至りでバカなことしなくてよかった、ガハハって未来で笑い飛ばしてくれるのを期待して、誕生日はもう嬉しくないけど、電源ボタンを押さないで堪えた自分と、ぼーっと歳をとっただけなのにおめでとうをくれる人たちに、精一杯のハッピーを。